アレルギーがある人への「特別な配慮」とは

アレルギー

私(当サイト管理人Emily)の娘は重度の食物アレルギーがあり、エピペンという緊急治療薬を常に携帯しています。間違えて食べてしまうと、アナフィラキシー症状によって数分~数十分で命を落としてしまうおそれがあるからです。

娘が学校生活を送る上で困るアレルゲンは、牛乳です。娘の給食はアレルギー対応食で卵と牛乳は入っていませんが、他のみんなの給食には卵と牛乳が入っているので、それらを食べたり触れたりしないように注意する必要があります。

そのため、学校では卵や牛乳を食べたり触れたりしないように自分で注意する他、先生やクラスメイト、縦割り班で行動する時には他クラスや他学年の児童にも、娘に症状が出ないように注意してもらう必要があります。つまり、「特別な配慮をしてもらう」ということ。

そんな娘が小学校に入学するにあたりどうサポートすれば良いか、入学前から現在でも、学校と面談を続けています。その中で感じた、「アレルギーのある人への特別な配慮とは」。それは、「どこまで出来るか? 何ならやれるか?」を聞いてもらい、一緒に考えてもらうということです。

この記事では、その考えに至るまでの経緯と、アレルギーのある人が周囲に望むことをお伝えしたいと思います。

「アレルギーでも特別扱いはしません」という担任の言葉

私は、夏休みのある日、担任と一学期の様子を話すための個別面談に伺いました。その面談の中で担任から一言、「アレルギーがあるからと言って、特別扱いはしません」と私は言われました。

「特別扱い」という言葉に感じた“違和感”

「アレルギーがあるからと言って、特別扱いはしません」と言われ、私はなんだかチクリと胸が痛みました。

あれ、おかしいな。私は娘にそんなことをして欲しいと言っただろうか? 特別扱い。うん、娘が発症してしまわないように対応してもらうことは特別なことだ。でも、「特別扱い」って何だろう。

望んでいるのは「特別な配慮」

私が娘が通学するにあたり学校に望んでいることは、「特別な配慮」を賜りたいということです。

それは具体的に言うと、「卵や牛乳の入っている給食は食べないけれど、給食を食べることでの食育は教わりたい」「掃除の時間に拭き掃除で卵や牛乳を拭き取ることは出来ないけれど、それらが付いていない場所の拭き掃除は教わりたい」といったことです。

つまり、健常な子供を対象としたカリキュラムの全てをこなすことは出来ないけれど、その方法と違う方法で行っても同じ目標を達成できるならば、手間と時間はかかるけれどその方法を丁寧に考えて欲しい、ということ。

もちろん、学校に全てを委ねるのではなく、保護者からも相談と提案は続けて行った上での話ですが。

「特別な配慮」/「特別扱い」という言葉を深く考えてみた

「特別扱い」ではなく「特別な配慮」を受けたいと思ってはいるものの、両者にはどんな違いがあるのでしょうか。ちょっとした言葉の違いかも知れませんが、少し考えてみることにしました。

「特別扱い」とは

特別扱いとは、三省堂大辞林第三版によると「 他とは違った扱い。普通、他より良い扱いについていう」とあります。

担任の先生が言った一言「アレルギーがあるからと言って、特別扱いはしません」とはつまり、「アレルギーがあっても、みんなより良くなるように対応はしないよ」ということですね。

そうですね、みんなより良い必要はありません。みんなと「同じ」で良いと思っているので、その点については親としても先生に同意です。

にも関わらずわざわざこれを言われたということは、先生にとっては「親が自分の娘をみんなより特別良いようにして欲しいと思っている」と感じられてしまった、ということなのでしょうね。

この点については、私から学校への伝え方にも問題があったのかも知れないので、もっと工夫していきたいところです。

「特別な配慮」とは

一方、特別な配慮とは。特別な配慮という言葉は「特別な」+「配慮」で出来ているので、これらを別々に考えてみます。特別とは「 他と特に区別されているさま。一般と特に異なっているさま」のこと。配慮とは「心をくばること。他人や他の事のために気をつかうこと」。

つまり「特別な配慮」とは、「他とは特に異なって心を配り気をつかう」こと。簡単に言い換えると、「優しくする」と言えるかも知れません。そうです。やはり私が学校に求めることは、娘に対し「特別な配慮を賜りたい」ということだと再確認できました。

アレルギーがある人にとって必要なのは、「特別な配慮」

アレルギーのある人にとって必要なことは、他より良く扱う「特別扱い」ではなく、ちょっと優しく気を配ってもらう「特別な配慮」です。なぜアレルギーのある人にとって特別な配慮が必要かと言うと、どう頑張っても「不可能なこと」があるから。

やりたくないのではなく「出来ない」=「不可能なこと」

食物アレルギーがあって食べられない・出来ないというと、残念ながら「なまけている」「努力すれば何とかなるのでは」と思われてしまうこともあります。でも、そうではありません。アレルゲンに触れるとかゆみとじんましんで辛い思いをし、食べると最悪の場合死んでしまいます。

花粉症の方に対し「気合いが足りないからくしゃみが出るんだろう」とは言いませんよね。この体質は、誰にもどうしようもない。事故で片足を失った方に対し、もう一度脚を生やせと言っても絶対に不可能なように、食物アレルギーがありアナフィラキシーを起こす人もまた、絶対に食べることは出来ないのです。

なのになぜか、食物アレルギーだけは軽視される、もしくはあまり重要視されない現実もあります。これは、やはり自分や周囲の人が食物アレルギーを経験することが少なく、食物アレルギーを持って生活することがどんなに大変なことか、簡単には想像できないためなのではないかと思います。

また、日本人の性質として、アレルギーのある人本人や家族が他人に迷惑をかけてはいけないと思って遠慮してしまう、ということも考えられます。

自分が食べられないためにみんなの食事の邪魔をしたくないとか、自分のためにみんなが我慢するようなことがあったら悪いと思うとか、そういう心があってなかなかはっきり言えないこともあって、なかなか世間に伝わらないということもあるのかも知れません。

「特別な配慮」は、本当は特別なことではない

「特別な配慮」というと、なんだかすごく気を使って、労力も使って、どんなことにも対応しなければならない、という印象はないでしょうか。でも先ほど考えてみた「特別な配慮」とは、「ちょっと優しく気を配る」ということ。

アレルギーの場合、命に関わるおそれもあるというところが難しいので、今はちょっとその話は置いといて。特別な配慮と言える対応について、少し想像してみましょう。

例えば、足の悪いおじいさんが階段を使わず、エレベーターで上の階に上がった。車いすに乗っている人が、車いすごと入ることができる広い個室のトイレに入った。

いかがでしょう。こんな「特別な配慮」、日常的によくあることです。どちらも、「階段は登れない」「狭い個室は入れない」というところだけ解消してあげれば、あとは自分で困ることなく出来ますよね。

特別な配慮をして設置されたエレベーターや広い個室のトイレは、足の悪い人や車いすの人だけに良い効果があるわけではなく、みんなが使いやすいようになっていると思います。このように、みんなにとって良いようにちょっと気を配るということは、本当は「特別」なことではないはず。

アレルギーのある人が周囲に望む「特別な配慮」とは

アレルギーのある人は、健常な人に比べ見た目では分からないハンディキャップがあります。食べる・触れる・吸うことが出来ないことが多く、健康や命を守るため、日常生活や仕事などにおいても制限が必要な場合があります。

そして、アレルギーは人によって体質や症状の重篤度も千差万別な上、個人の生活状況や疾患への理解度・周囲の理解度・助けられる人手の多少などによっても出来ることは限られてくるため、「アレルギーの人には“こう”」と決まった対応の仕方がないところも、対応が難しくなる一因となっています。

命に関わる症状が出ることもあるため、アレルギーのある人の周囲にいる人は「やってはいけないこと」にばかり注目してしまうかも知れません。しかし、少し肩の力を抜いて考えてみると、食べる・触れる・吸う(など)以外のことは、世間一般の普通の人と同じことをして生活しているのです。

だから、アレルギーのある人の周囲にいる人に協力してもらいたいこと。それは、「何ならできる? どこまでならやれる?」と聞いてもらいたいということ。

命に関わる症状が出るかも知れないからと、守ってくれようとする気持ちはありがたいのだけれど、腫れもののように扱われるのはちょっと辛い。そして、アレルギーのある人本人や家族は、“普通に”生活できるようにするため、たくさんの工夫をしていることが多いのです。

アレルギーのある人に出会うのが初めてで、どんな手助けをすれば良いか分からない時。是非ご本人やご家族に「どうしたら良いか」聞いてあげて下さい。アレルギーのある人が「特別な配慮」を求めたとしても、命のリスクを冒してまでの対応は求めたりしないので、どうか怖がらないで聞いて下さい。

どうすれば良いか“一緒に”考えてくれる、そのこと自体がすでに「特別な配慮」をしてくれているということであり、いつもいつも遠慮したりお願いしたりして肩身の狭い思いをして生きているアレルギー患者の、心のケアにもなるのです。たとえ話を聞いた結果、手助けできることがなくやらずに我慢するしかなかったとしても、「一緒に考えてくれた」と思うだけで救われた気持ちになるのです。

おわりに

今回は、娘の学校の対応を通して、アレルギーのある人への特別な配慮について考えたことを書いてみました。

娘が普通の生活を送るためには、まだまだ周囲の大人が環境を整えてあげることが必要です。親として家族として支えとなれるよう頑張ってはいますが、小学生となり日常生活の半分を学校で過ごすようになると、学校や先生のご協力は絶対に欠かすことが出来ないものとなっています。

昨今では、アレルギーだけでなくそれぞれの成長や発達に合わせた個別の対応を求められることも少なくないと思います。

それだけに、あれやこれやとお願いせざるを得ないのは誠に恐縮であったりはするのですが、ここに記した「ちょっと特別な事情のある人」の気持ちを少しでもご理解いただけたら、みんなで支え合う世の中に一歩でも近づけるのかな、と思ってみたり。

娘のアレルギーに関しての体験談はまだまだあります。少しずつ記していこうと思っています。この記録がどなたかの心に響いて下さいますように。


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